徒然なるよしなしごと---2001年9月



目次 (それぞれの項に飛びます) 

危機管理について考える
今週は演歌で行こう
パック旅行の採算の話
秋色のふるさと紀行
我が家周りにもあるデフレ現象





危機管理について考える 9月29日


 2001年9月11日、いうまでもなくテロリストがアメリカで同時多発テロを起こし、どうかすると「人類の生態系の変化」をもたらすかもしれない事件になった日である。同時にその日は私の62回目の誕生日だった。だから私の誕生日は今後世界中の黙祷をもって迎えられることになる。また911という数字は日本の110番に相当する電話番号らしい。なんとも皮肉な符号ではある。それはともかくこの際危機管理というものについてちょっと考えるところを述べてみようかと。

 もう考えてみれば18年前になる。仕事でレバノンのベイルートに出張した。長い長い内戦が一応収まったらしいということで復興需要を調べてこいという社命である。街は一応収まったというもののあちこちに破壊されたビルが立ち並びまだ部分的にテロなどがあった。私が行った日にもテロがあり大臣の車が焼き討ちに遭って大臣が死んだ。私が10分前に通った場所でのことでキモをひやした。
 ベイルート海岸はものすごく美しい。抜けるような地中海の青と空の青の中を車で走っていると沖に黒いものがずらりと並んでいる。どうやらアメリカ海軍の戦艦が並んでいるらしい。「あんなに軍艦が並んでいて恐ろしいね」というと、現地の人がにっこりと笑って言った。「軍艦が並んでいるから我々は安心して眠れるんだよ。昨年まではあれがいなかったからほんとに心配だった」と。軍艦がいるから怖いという私と軍艦がいるから安心という人と、ここに日本人の平和ボケがあるとその時思い当たったことである。

 翻って現代。先日のアメリカでの大規模なテロ事件は日本にも少なからぬ影響を与えるようだ。しかし日本人は自衛隊の海外派遣にそこはかとない不安感を抱くくらいのことでまさに「対岸の火事」と思っているのではないだろうか。少なくとも昭和天皇崩御の時のような歌舞音曲を慎むといった国民的な一体感はないようだ。
 これでいいのだろうか。日本にだってテロの手が及ぶ危険性は無きにしもあらず。そういう危機に対する備えは少しはできているのだろうか、はなはだあやしいものである。
 今回のテロ事件のあとでアメリカでは武器と防災用品が飛ぶように売れたそうである。平生から少なくとも日本人よりは危機管理ができているといわれるアメリカ人でもやはり危機管理の強化に思いが行ったのであろう。これで武器のないアメリカ社会は遠のいたといわざるを得ないだろう。日本では銃器のメーカーと防災用品のメーカーの株がちょっと上がったが「線香花火」だった。

 テロでなくても危険は一杯ある。先日の新宿の雑居ビルでのひどい火災事故はどうだろう。「あれは消防法も守らないいいかげんなビル管理のなせる業であんなのがしょっちゅう起こるわけがない」というのが一般的な日本人の感想だろうか。しかしいかに消防法を守ろうが日常気をつけていようがこのような火災が絶対に起こらないという保障はどこにもないのである。何らかの備えは必要なのではないのか。

 火災やテロ以外の危機といえば思い当たるのが狂牛病。日本でも狂牛病が見つかったというので厚生労働省の慌てぶりはあれはなんだ。もう数年前から欧州では大問題になっていたのだからいずれ日本にも入ってくるというのは考えておかねばならないのに何の準備もできていなかったということである。99.9%の牛肉は問題ないと思うが、気持ちが悪いから人々は牛肉を食べるのを止めるかも知れない。迷惑な話である。
 自分の命は自分で守ると西部開拓の時代から習慣つけられているアメリカ人ほどではなくても、本当に危機が訪れたときにどうするのか、我々平和日本人も備えておく必要があるのではなかろうか。

緊急避難用防煙マスク
 私のHPの「自分の歴史」の終わりのほうに書いているが私は防災用品の一つ防煙マスクを作る会社の役員をしている。日本人の危機管理、ひいては防災意識がもっと高まれば必ず需要が拡大する商品だと確信しているのだが、いまのところ危機管理さえも不景気の前には後回しにされるらしく、売れ行き不振である。あるマーケティングのプロがいうには「この商品はすばらしい。また本当に必要な商品だ。でも関西では売れないでしょう。関西の人間はケチだし、ウチに限って火災などあるはずがないと信じていますからね」だと。宣伝のためにこの「よしなしごと」を利用するわけでもないが関連することなので「関西人よそれでいいの?」とちょっと付け足したい。


 

今週は演歌で行こう 9月22日


 アメリカのどえらいテロ事件からうちの会社の売上不振まで頭の痛い問題ばかりだ が、ちょっと気休めに今週のよしなしごとは私の好きな演歌の話にしよう。
 演歌というのは文字通り演ずる歌であるが、こういうジャンルが出来たのは実は昭和 50年ころらしい。それまではポップスも何もひっくるめて流行歌であり歌謡曲であっ たわけだ。この区分が今日の演歌の衰退を招いたのではないかと恨んでいる。
 さて、「演歌」という漢字はいろいろな漢字に置き換えることが出来る。
キムヨンジャ 恨歌.....恨み歌である。演歌のふるさとは韓国であるというが韓国における演歌は 恨歌である。日本における「恨み歌」というと、「昭和枯れススキ」〜そうよ、世間 に負けた、いっそきれいに死のう.....「圭子の夢は夜開く」〜15,16,17と私の人生暗 かった.....本場韓国からきたキムヨンジャの一昨年の歌に「東京運河」という暗 い歌がある。〜テレビを相手にすすけた部屋で一人酒を飲む.....暗く恨みに満ちてい る。
坂本冬美 艶歌......色気のある歌。こちらはいいですねえ。あっけらかんとしたお色気歌なら 「黄色いさくらんぼ」〜ウッフン、若い娘が.....プロの色気なら「芸者ワルツ」〜あな たのリードで島田もゆれる、乱れる裾も恥ずかしうれし.......てなもんですな。あ ぶな絵的な色気ソングなら山口百恵「一夏の経験」なんてどうですか。〜女の子の一番 大事なものをあげる.....なんてドッキリしますね。一番色気を感じる歌といえば私 に言わせると「夜桜お七」坂本冬実の名曲ですね。〜口紅をつけて、ティッシュをくわえたら、涙がポロリもひとつポロリ....
八代亜紀 援歌.......人生の応援歌。頑張れ頑張れという歌はいつの世にもある。一番有名なのは水前寺清子の「365歩のマーチ」でしょうか。〜人生はワンツーパンチ3歩進んで2歩さがる。あまり売れなかったけど今年の歌で八代亜紀の「貴方の背中に」は還暦世代の応援歌。〜貴方はまだまだ男盛り、隠れたフアンの恋歌を....。最近大泉逸郎が「これから音頭」というやはり還暦世代応援歌をだした。まだ覚えていないが、〜人生まだまだこれからよ、という元気の出る歌である。
縁歌.........人と人との縁を歌ったもの、といえば一番は「命くれない」瀬川瑛子だろう。なにせ〜生まれる前から結ばれていた.....というのだから縁そのもの。あと、家族の縁を歌ったものは多い。大泉逸郎「孫」は3年前大ヒットだった。〜なんでこんなに可愛いのかよ.....よく歌ったものだ。芦屋雁の介「娘よ」〜ヨメに行く日が来なけりゃいいと.....もしびれさせましたねえ。
瀬川瑛子 円歌.........といっても三遊亭の噺家ではない。ゼニのことを歌った歌。これは余りないようだ。ゼニの歌はカネにならないか。「1円玉の旅がらす」晴山さおりだったか、がある。ずばりゼニにまつわる歌といえば「領収書」てのがある。歌手も歌詞は覚えていないが飲み屋のママさん領収書おくれ、それもできれば白紙でね、とかなんとか。せこいサラリーマンのざれ歌だがこの不況では領収書があっても会社から飲み食いのカネはでないよ。
 と、せちがらい現実に戻って演歌の話はおしまい。


 

パック旅行の採算の話 9月15日


 今週はちょいと休みを取って北海道旅行に行ってきた。ある交通社の企画パック旅行で3泊4日で道東から道央まで回ろうというのである。4日といっても最初と最後は移動だけで実質3泊2日なのだが、お値段が39,800円。北海道という場所のことを考えるとこれは安いと判断して購入したわけだ。パック旅行だからすべてを添乗員やらバスガイドやらに任せてバスに乗っていればいいのだが、さてこの値段で採算が取れているのだろうかと心配になりあれこれ考えてみるのもビジネス的頭脳に凝り固まった悲しき性かもしれない。で、あの手この手の採算性向上努力をかいまみた。
 航空運賃は正規運賃だとそれだけでこの価格を超えるから割引をフルに使って半分以下にしていることは間違いない。飛行機も空気を運ぶよりは安い客でも乗せたほうがいいわけだから。
 請求書をみたら価格は44,800円になっている。おかしいやないかとよく見ると下に小さな文字で「交通障害保険5,000円を含みます。不要な方は差し引いてお支払いください。」とある。これはいらない(包括的に保険に入っている)から差し引いたがうっかりそのまま払った人がいれば保険で一儲けできるわけだ。
 旅館に着く前にバスの中で添乗員がみんなに紙切れを渡す。部屋割りから集合時間、食事時間エトセトラが書いてあるからいちいち説明がいらないわけだが部屋の鍵も部屋の中に置いてある。つまりお部屋係りという着物を着たオネエさんを省略しているのだ。すべてセルフサービス。蒲団敷きはやってくれたが茶髪の大学生バイトらしいのが一部屋2分ですませていった。案外この辺の人件費の節約は大きいと思う。
 2日目の晩飯をどうするか前の日に添乗員が注文を取る。無論食事つきのパックなのだが、そのままにするか、4,000円追加して蟹付き特別料理にするか、6,000円追加して毛蟹食べ放題にするかという。本当は追加なしでもいいのだがみんなが蟹を食っているのに自分達はなしというのもなあ、と4,000円追加のクチにした。当日周りを見ると全員が追加料理、4,000円と6,000円と半々くらい。見栄というものもある巧みな心理作戦で増収を図られた、という感じ。当然いす式の大部屋で食事するが3日目は朝昼夜ともにバイキング方式だった。苦心して人件費を節約しているね。
 観光スポットに行くと降りて見物するのだがこれが大体一箇所30分、はいはい早く戻ってください、となるのだが海鮮市場とか何とかの買い物スポットに行くととたんにこれが1時間くらいに伸びる。買い物をさせることで店からのリベートというのは今や常識。温根湯温泉近くの「キタキツネ牧場」見物の時だけ1時間というから、お、長いなと思ったら何のことはない、これがみやげ物やそのもの。みやげ物屋の店内を通過して裏庭に出たらそこがキタキツネ牧場という名の庭になっていてキタキツネとトナカイが囲いの中に飼育されていた。帰りもみやげ物売り場を通らされるのでまあ、なにがしか買い物をしてしまう。

 規制に守られて税金や財投資金をゆったりと使う公共事業の世界と対極にあるのが旅行業界だろう。熾烈なコストカッティングをやって絞りに絞ってこういう価格設定をして、さらに個人を相手にあいてに、パンフやら新聞広告やら窓口の説明やらで魅力を感じさせて注文を取る。それでも薄口銭であるいは出血覚悟でやってゆく激しい競争社会があるようだ。この業界だけではないが大変だよな、と思いながら観光バスは今日も走る。客はノーテンキに居眠りする。

秋色のふるさと紀行 9月8日


 先日ほぼ1年ぶりに故郷を訪ねた。チョクチョク電話があるから問題ないとは思うものの念のため一人暮らしの母の無事を確かめるのが主な目的のようなものである。
 大阪ではやっと30度を割るかなあという程度の涼しさだが海抜600メートルの高原の村は最高気温20度そこそこ、朝夕はひんやりとした空気が流れる秋色の村だった。通りかかる村人が声をかけてくれたり会釈してくれる人情は健在だった。

築145年の故郷の家

 私の家は慶応3年に建てた家である。だから築145年目のはずである。まだこの通りしゃきっと建っている。さすがに壁が剥げ落ちたり少し傾いたりしているが現に母がここで暮らしているのだから問題ない。ただ母が使っている部屋は2つだけ。あとは次第に朽ちてきている。やはり家は使わないとだめになる。
いのしし退治の檻というか罠 家の裏にあった檻。これはいのししを捕らえるための檻である。子供の頃狐や狸は見かけた。いのししも見かけたが最近はどこへ行ったのか狐や狸は出没しないそうだ。でもいのししは時々出てきて畑を荒らすので近所の猟師がこの仕掛けで捕らえてぼたん鍋にするそうな。
山の中の一軒家  我が家はかれこれ100軒もあろうかという集落の中にある。しかしほんのちょっと外れるともっともっと田舎である。まだ舗装もしていない道をゴロゴロと車を走らせるとごらんのような一軒家があった。ここは小学校の時の友達の家である。都会に出ないで地元に住み着いた例外的な人物である。こんにゃくを作りしいたけを栽培して結構裕福な生活をしている。しかし刺激がない、退屈だ、というのは都会に毒された人間のセリフか。
元火山の火口、今キャンプ広場  この写真は近所の山にあるキャンプ場の集会広場である。この広場は元は学校の運動場だった。運動場になる前は火山の火口だった。子供の頃この運動場で小学校中学校、爺ちゃん婆ちゃんみんなあつまって「村民大運動会」が開かれて賑わったものである。今は都会からキャンプに訪れる人を受け入れ貴重な村の収入源になっている。
今は廃校になった母校小学校 これは卒業した小学校である。正確には20年程前に隣の土地から建て替えられたからこの小学校そのものを卒業したわけではない。この小学校も数年前に全校児童が8人(!!)にまで減ってしまい行政改革の一環として廃校になったままである。私の場合中学校も廃校になったので母校は小中ともに今はない。「元気な山の子」のたて看板がいじらしい。

我が家周りにもあるデフレ現象


 日本国中デフレスパイラルの中にいるのだから何の不思議もないけれど我が家に関してもデフレらしい現象が起こっている。そこら辺のところをご報告。
 (その一)
 我が家にも小さな庭がある。自嘲的に「猫の額の半分ほど」ということにしているがそれでもバベの生垣が三方を囲んでいるから庭の手入れをするとなると結構なボリュームだ。かつてわが若かりし頃は自分で剪定をしていた。多少不恰好でも気にしなかった。
 その後植木屋に頼むようになった。宝塚の町は植木屋が多いからいくらでも頼めるが専門の作業員が2,3人きて半日くらいで仕上げてくれて5万円くらい取られる。
 「痛いねえ」「そうやねえ」といっていたら、チラシが入った。いわく「格安で庭の手入れいたします。お茶や茶菓子の心配かけません。トイレも借りません。お留守なさっていても結構です。」 主婦のわずらわしなあと思うことをついて上手いこと宣伝するなあ、といって問い合わせたら3万円くらいという。
 最近女房がご近所の奥さんからクチコミで聞いてきた耳寄りな話。1万円でやってくれる人がいるという。ただし、刈りっぱなしで、斬った小枝の後始末は自分でやる条件だそうだ。そりゃできるわ。職人さんが剪定する後ろからついていって枝を拾って袋に入れてゴミの日に出せばいい。まだクチコミだけだから流行ってないようだがこれ絶対いける。デフレ下、自分の労働力を生かさなくちゃ。
我が家の生垣  散髪を安くということでちょん切るだけ、髭剃りも洗髪もなしという大衆理容1,000円とか言うのを思い出したよ。

 (その二)
 我が家の屋根は買ってから20余年一度も手入れしていない。まだ雨漏りはしていないが色もあせて危機的状態らしい。
 ご近所の人がテレビでよく聞くリフォーム業者に頼んだら似たような屋根の塗り替えで60万円ほどかかったというから、結構高いもんだなと思案していた。
 すると女房がその家の奥さんから聞いたところでは実際にやってきた職人が「今度から壁塗りなどの御用の時は直接言ってくれますか」とそっと名刺をおいていった」とかいう話。さっそくそこに電話したら飛んできて見積ってくれたのが27万円。こりゃ安いと思ったが女房がまだそこから値切って20万円で契約。
 「中に入った有名工務店のピンハネがきついんですわ。でも宣伝する資力もないので仕方なく下請けで安い仕事をするか値段に合う仕事をするしかないんです。こうやってクチコミで仕事もらえるとほんまにありがたいです」と。
 で、その職人さん当日になると2人でやってきた。見ればもう一人は女性。しかもわりと若い美人である。その美人さんがペンキでコテコテのツナギを着てはしごをよじ登るのである。「いやー、ウチの女房ですねん。以前は職人雇うてましたんでっけど、仕事減って食えまへんので辞めてもろて代わりに女房を仕込みましてん。きつい仕事でっけど、なにコイツはワシに惚れてますよってに辛抱しよります」とニカッと笑ったのが印象的だった。
 昼飯時になると土間に新聞紙広げて、出してあげたお茶をすすりながら夫婦でおいしそうに弁当を食べていた。小学生の子供がいるので仕事がすんだら急いで家に帰って主婦業もやるのだそうだ。ごくろうさん、いあーよくがんばっているね。

 この不景気で仕事するほうも消費者のほうもいろいろ工夫してがんばらないとやっていけないねえ、まったく。
 それにしても主婦のクチコミはマスコミ以上の威力を発揮するものである。  



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